【独自】沈黙を破ったギタリスト・DAITA──「スラップ訴訟」と闘い、ファンに示す決意

「SIAM SHADE」のギタリスト・DAITA氏が、本年9月30日、4名のメンバーを相手取り、自身が作曲した楽曲の演奏差止と、「SIAM SHADE」名義での活動差止請求を東京地裁に提訴したことを発表した。本稿では一連の事態にまつわる背景事情に加え、既報では明らかにされていない、DAITA氏自身が語った「沈黙から法廷へ」踏み切った理由を、独占インタビュー記事として詳しくお伝えする。
新田 龍 2025.10.04
誰でも

90年代を彩った伝説的バンド「SIAM SHADE」のギタリストとして知られ、現在もソロ活動や復興支援に取り組むアーティスト・DAITA氏。彼がここ数年直面してきたのは、メンバーとの間で勃発した訴訟だった。しかもその訴訟は、音楽活動とは無縁の「スラップ訴訟※」に近い性質を持つものであり、アーティストとしてのキャリアや生活に深刻な影響を及ぼすものであった。(※勝訴見込みがないにもかかわらず、相手方への嫌がらせや恫喝、言論の萎縮を狙って提起される訴訟のこと)

そもそも「メンバー間での訴訟」とは何だったのか。詳しい経緯はこちらの記事をご参照頂ければ幸いだ。

記事要旨

SIAM SHADEメンバー4人と DAITA氏との間で、収益分配・運営管理をめぐる訴訟が3年以上にわたり続き、2024年9月27日に和解。再結成期の権利処理や復興支援金を巡る複雑な背景があり、和解の裏で多くの争点があった。
訴訟背景には、再結成時期の CD/DVD・グッズ等の収益管理と分配の問題、並びに震災復興支援活動の収益・寄附金の扱いをめぐる争いがあった。 DAITA氏は、収益・費用・税金を自らの会社を通じて運営し、その処理・控除後にメンバーへ分配する方式を取っていたが、メンバー側はそれを「不公平な分配だ」と主張していた。 
裁判は長期化したが、結果としてDAITA氏の会社が不正経理をおこなったなどという事実は一切認められず、和解で終結した。DAITA氏によれば、この問題の背景には「金銭事情」が一番にあると考えられ、メンバー4人の弁護士による煽動をもとに、安易な金銭目的で起こされた「スラップ訴訟」だと認識している。
和解時、「SIAM SHADEとしての活動は、5人揃った場合のみ」という合意があったにもかかわらず、メンバー側は今後DAITA氏を除いた4人だけでの活動を示唆しており、実際にメンバー4人だけでのライブ・イベント発表もなされた。DAITA氏はこの動きに対して「4名だけでの活動の既成事実化を狙っているのではないか」との懸念を抱いている。

本件については長らく沈黙を貫いていたDAITA氏だったが、本年9月30日、自身の公式Webサイトにおいて、4名のメンバーを相手取り、DAITA氏自身が作曲した38曲にわたる楽曲の演奏差止と、バンド名「SIAM SHADE」名義での活動差止請求を東京地裁に提訴したことを発表したのだ。

サイト上では、これまでの7年間にわたるメンバー間トラブルの背景や、再結成・分配問題・名義使用をめぐる確執などについても、図表を用いてかなり詳細に説明されている。

ファンの皆様、関係者の皆様へ(DAITA氏公式Webサイト)

時を同じくして、ニュースサイト「デイリー新潮」においても、本件訴訟に至った経緯、5人のメンバー間が1:4で争う構図になった理由、自作楽曲の権利・名義管理を巡るDAITA氏の主張を詳説する記事(前編)が公開された。

さらに後編記事では、解散の真相に関して、メンバー間の乱闘や暴行事件、チーフマネージャーへの暴行によって重傷を負わせてしまうなどの過去の出来事が採り上げられている。

これら記事でも詳報されているとおり、事態は単なる「バンド内の不和」にとどまらず、商標登録や復興支援活動に絡む法的トラブル、名誉毀損、取引関係への妨害など多方面に広がる「内部紛争」ともいえる展開となっていた。そこには感情的な葛藤とともに、権利・名義使用をめぐる法的・契約的な争いが絡んでおり、単なる人間関係の亀裂以上の性質を帯びているのだ。

本稿では、一連の事態にまつわる背景事情と影響、そして既報では明らかにされていない、DAITA氏自身が語った「沈黙から法廷へ」踏み切った理由を、独占インタビュー記事として詳しくお伝えする。

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背景:バンドの復活と「商標登録」騒動

事の発端は、DAITA氏を除いた4名のメンバーによる、「実質的なSIAM SHADE再結成プロジェクト」が動き出したことだった。2024年11月21日、 SIAM SOPHIA(SIAM SHADE+SOPHIA※) というコラボ名を利用し、大阪城ホールでSIAM SHADEとSOPHIAの共演ライブ・イベントを翌25年2月9日に行うという発表がなされたのだ。

(※SOPHIAはSIAM SHADE と同年、1995年にメジャーデビューしたヴィジュアル系ロックバンド。2013年に活動休止したが、2022年より活動再開し、現在も活動中)

しかしこの発表に対し、DAITA氏は大いに疑念を抱いた。先述のとおり、裁判の和解時に、他メンバーたちは「SIAM SHADEとしての活動は、5人揃った場合のみ」との条件に合意しているはずだ。しかしSIAM SOPHIAライブ・イベントにDAITA氏は招かれておらず、それどころかメンバーや、ライブ当日DAITA氏のポジションで演奏することが決まった、氏の後輩のギタリストRENO氏からも、事前の連絡は一切なかったのだ。

DAITA氏はいまだSIAM SHADEのオリジナルメンバーであり、脱退しているわけでもない。にも関わらず、何の確認もなされなかったことに氏は不信感を抱く。しかも、ライブの告知からイベント実施日までわずか81日間しかない。通常、大阪城ホールのような1万人規模の大会場での公演を、そのような短期間で準備する事はできない。おそらく、発表前から相当の時間をかけて準備されていたことが察せられた。

DAITA氏はどのように対応するか悩んだものの、あくまで「一夜限りのスペシャルライブ」である、とのSIAM SOPHIA側の発表を信じ、非常に複雑な思いを抱きながらもこの件については静観することとした。

しかし、他メンバー側の和解違反はそこに留まらなかった。その後2025年6月18日、4人は再び「2025 SIAM SOPHIA FINAL 開催決定」との発表をおこなったのだ。DAITA氏は、このままでは今後も4人が形を変えつつ、実質SIAM SHADEとしての活動をしていくのでは、という危機感を抱くことになる。

さらに氏は、ライブ制作の関連会社やライブ会場、ライブ配信実施予定の衛星放送局などの関係者も、メンバー間の訴訟について多少なりとも伝え聞いているはずなのに、氏に対して「(DAITA氏抜きでライブをやってしまって)本当に大丈夫なのか?」といった確認がなされなかったことに対しても失望したと打ち明ける。それどころかむしろ「変に公に発言して、事を荒立てるな」などと、DAITA氏からの発信を抑える声すらあったという。こうした状況が、氏の孤立感を深めていった。

このような状況に追い打ちをかけるような、ショッキングな事実も判明する。バンドを取り巻く状況に危機感を抱いたDAITA氏が、「SIAM SHADE の商標権はどうなっているのか」と特許庁に確認したところ、なんとSIAM SOPHIA の共催ライブ実施の発表がなされた「2024年11月21日」当日に、メンバーの栄喜が単独で「SIAM SHADE」を商標登録申請していたのだ。もちろん、DAITA氏に一切の確認はなされていない。

栄喜は「SIAM SHADE」の商標権の私物化、および独占を企てたものと推測されるが、幸いにもその申請は特許庁により、2025年7月4日に拒絶されている。しかしDAITA氏は、他メンバーたちによるこれら一連の行為を「SIAM SHADEを冒涜する象徴的な行為」だと感じ、本訴訟を提訴する覚悟を決めたのであった。氏はこう語る。

「一夜限りだと言いながら、同日に裏で商標登録を出願していた。しかし『SIAM SHADE』は私たち5人のバンドであり、誰か1人が単独で商標出願をできるものではなく、単独で出願をするなら他メンバー全員の承諾を得なければならないもの。出願が通らないと分かっていて単独で出願を出すなんて、あまりに倫理的におかしい。これが、私が声を上げる決定的なきっかけだった」

訴訟がもたらした精神的・実務的打撃

スラップ訴訟の最大の特徴は、勝ち負け以上に「時間と労力を奪い、相手を疲弊させる」ことにある。DAITA氏の場合も例外ではなかった。

  • 長期にわたる弁護士費用と精神的ストレス

  • 契約・出演機会の喪失

  • 関係者からの連絡断絶、取引先からの誘い減少

  • ファンに対しても「沈黙」を強いられる状況

DAITA氏は「音楽家・アーティストとしての土台が揺らいだ」と振り返る。その間は、ファンや支援者の存在が唯一の支えだったという。

沈黙を破る決意──「ロックは怒りから生まれる」

かつてDAITA氏が声を上げられなかった背景には、デイリー新潮記事でも語られた、SIAM SHADE時代のメンバーによる暴行事件があった。その時は、SIAM SHADEを育ててきた恩人のようなチーフマネージャーが被害を受け、その結果当時の所属レーベル代表の命により、バンドは解散することになってしまった。しかし、被害者であるチーフマネージャー自身が「自分のせいでSIAM SHADEを解散させてしまった」との負い目を感じていたため、DAITA氏も「多くを語ってしまうことで、ネガティブな印象を残してしまわないように」と沈黙してきたのだ。

だが今回、バンド復活と同時に多くの疑念が持ち上がり、「これ以上は耐えられない」と法的手段に踏み切った。DAITA氏は語る。

「震災復興については、東北地方に恩義があったからやったのに、数少ない協力者の中から力を貸してくれた人たちを貶めたのは許せない。その後の和解違反も含めて、4人のメンバーの行為への『怒り』が、今回の法的対応の原動力だった。ロックは怒りから生まれる。自分の曲の多くもそうであるように」

しかし、その怒りは復讐ではない。

「自分だけの話ではない。友人間でも、企業間でも、不当に相手を陥れる行為はある。放置すれば人も社会も壊れる。だからこそ、『そういうことは止めよう』と伝えたい」

法廷での闘いと実質勝訴

長引いた裁判の末、和解という形で実質的に勝訴を得た。しかし、氏がそれまでの間に失ったものは少なくない。

「金銭的な負担もあったし、信頼や人間関係も壊れた。疑心暗鬼になり、失ったものは計り知れない」

それでも、DAITA氏は「金銭ではなく人権の主張」と位置づけて闘い始めた。著作権侵害を訴え音楽活動を守るために声を上げたのだ。

ファンと社会へのメッセージ

最後にDAITA氏はこう語った。

「これまで応援してくれたファンの皆様、ご迷惑をおかけしてしまった関係者の皆様、復興支援に携わってくれた皆様には、深くお詫びすると共に、心から感謝申し上げます。ここまで来られたのは皆様のお力添えのおかげです。過去、現在の裁判は音楽活動のためだけではなく、基本的人権を守るための闘いでもあります」

そして続ける。

「自分抜きでSIAM SHADEを名乗ってほしくない。私は今まで通りアーティスト/ギタリストDAITAとしても活動を続けていくし、その中でもしファンが求めるなら、自分がSIAM SHADE DAITAとして作曲/編曲してきた作品を今後は堂々と演奏していきたいと思います。ギターの音色を通して少しでも多くの方々に自分の想いを伝え続けていきたい。過去の裏切りに縛られず、誰もが堂々と生きられる未来をつくりたい。そのために自分は闘い続けます」

デイリー新潮が報じた事実関係に対し、ここで明らかになったのはDAITA氏の「心情」と「決意」だ。

彼の闘いは、単なる音楽業界の内輪揉めではない。権力や法を悪用し、人を追い詰める行為に対して「NO」と言えるかどうか。これは社会全体に突きつけられた問いでもある。

ファンがその声に応えるとき、DAITA氏の名誉は真に回復されるだろう。

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