なぜ「全員業務委託」は叩かれる? 雇用の責任逃れで真面目企業がバカを見る「アンフェアな罠」

SNSスクール運営で急成長した会社の代表者が、社員600人超の規模を誇りながら、実態は社保加入が社長1人だけだったことが発覚。「実質的に『雇用』なのに業務委託扱い。これは『偽装請負』では?」と疑義を呈されるも、社長の攻撃的な対応で炎上中である。これほどまでに批判される「業務委託」とは、いったい何が問題なのかを解説する。
新田 龍 2026.03.17
誰でも

株式会社Levela(代表:駒居康樹氏)は、Instagram特化のSNSスクール「SnsClub」を運営し、年商15億円規模に急成長したスタートアップである。

以前より「正社員ゼロ」を公言し、スタッフの大半が業務委託であること自体は明らかにしていたが、今般駒居氏がシンガポールへの社員旅行(参加者の一人がSNSで「社員旅行」と記していた)の様子をSNSに投稿したことを発端に、「正社員ゼロなのに社員旅行?」「業務委託なのに、Web上で『採用』とか『幹部』といった役職表現、『フルフレックス出勤』『Mtg』といった組織管理について言及しているのはおかしい」といった指摘がなされる展開となった。

そして日本年金機構のサイトから、同社の社会保険加入者は社長1人だけと判明したことで、「実態は雇用なのに書類だけ業務委託=偽装請負※なのでは?」の疑いを呼ぶこととなる。当初、駒居氏は指摘に対して「会社というより、独立した個人事業主が集まる『ギルド型組織』である」「弁護士に相談して運営しているので違法ではない」と疑惑を否定していたが、疑問の核心である「労働者性」(=実態は雇用では?)については触れなかったこと、そして一部の指摘者に対して「ゴキブリ以下のカス」「雑魚」など口汚い言葉で讒謗したことも相まって、労基法違反・社保逃れ・税務問題としてSNSで大炎上する運びとなってしまった。

※「偽装請負」という言葉は本来「請負契約を装って労働者派遣を行うケース」(派遣法違反)を指す用語であり、今般のような「実態は雇用なのに、契約上は業務委託としている状態」は「雇用偽装」として区別される。ただし、日常的に一言で表現する場合は「偽装請負」との表現が最も一般的であるため、本稿では「偽装請負」で統一表記する。

本件については既に多方面から批判がなされているが、労務や法律の専門用語が多かったり、一方で駒居氏を擁護する意見も一定割合存在するため、何が問題なのか少々分かりにくいとお感じの方もいらっしゃるはずだ。本稿では基礎知識がない方でもご理解頂けるよう、平易に説明することを心掛けた。なぜ「業務委託」がここまで叩かれる(ように見える)のか、読み解くヒントとなれば幸いだ。

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ビジネス系トラブル解決の専門家・新田龍が、すべての「働く人」と「経営者」が知っておくべき「自分自身と組織をトラブルから守り、価値向上させるための知恵」を、具体的事例を基に分かりやすく解説しお届けしています。報道品質と頻度を保つため、サポートいただける方はぜひ下記ボタンから月額のサポートメンバーをご検討ください。

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1. 「業務委託」と「雇用」は何が違うのか?

「業務委託」と「雇用」の違いは、働く人の立場、会社の指示の度合い、報酬の支払い方、そして会社が負うべき法的義務の有無にある。

雇用されている場合、働く人は会社の社員として扱われ、上司から仕事のやり方、時間、場所といった細かい指示を受ける。たとえば「今日はこの仕事を朝9時からオフィスでやって」と具体的に命じられるのが普通である。 報酬は働いた時間に対して支払われ、残業すれば割増の残業代が出たり、有給休暇を取れたりする。会社側は働く人を健康保険や厚生年金などの社会保険に加入させる義務があり、解雇は「経歴詐称していた」とか「天災で業績悪化」といったごく限られた理由がない限りなかなか認められることはない。すなわち「社員として雇用される」ということは、「労働基準法などの法律で権利をガッチリ守られる」ことと同義といってよい。

一方、業務委託の場合、働く人は「独立した個人事業主」のような立場をイメージ頂くとよいだろう。会社は「こんな成果を出してください」とだけ頼み、具体的なやり方やスケジュールは委託を受けたスタッフが自分で決める。他人に代わりにやらせても構わず、報酬は納品した成果物に対してのみ支払われる。時間給や残業代はなく、社会保険加入や雇用維持のような義務も会社にない。契約期間が終われば自然に終了しやすい形である。

それぞれのメリット、デメリットを表にすると次の通りとなる。人を「社員として雇用する」場合における、企業と働き手双方にとってのデメリットが、業務委託形式をとることでいずれも解消されることがお分かり頂けるだろう。

筆者作成

筆者作成

2.「じゃあ最初から全員業務委託にすればいい!」が不可能な理由とは?

人を「社員として雇用する」場合、企業にとっては社会保険料や残業代といった固定的な人件費負担、解雇規制による人員調整の難しさなどの制約が生じる。一方で働く側にとっても、働く時間や場所の拘束、副業制限、配置転換といった会社都合の影響を受けやすいという側面がある。

こうした点だけを見れば、「それなら最初から全員業務委託にしてしまえばよい」と考えたくなるのも無理はない。企業側はコストや法的義務を軽減でき、働く側も自由な働き方を手に入れられるように見えるからだ。

しかし、現実にはそのように単純に割り切ることはできない。なぜなら、働き方の実態が「雇用」と変わらないにもかかわらず、形だけを「業務委託」とすることは法律上認められないからである。ここで問題になるのが「労働者性」だ。

「労働者性」とは、契約形式がどうであれ、その人の働き方の実態が「会社に雇われて働いている人」と同じかどうかを判断する考え方である。

たとえば、契約書に「業務委託」と書いてあっても、実際の働き方が会社の社員とほとんど変わらないのであれば、法律上は「労働者」として扱われる可能性がある。ポイントは、「契約の名前」ではなく「実際の働き方」で判断されるという点であり、会社側が「この人は業務委託だ」と主張しても、それだけで決まるわけではないのだ。

では、どのような場合に「労働者性がある」と判断されやすいのか。専門的にはいくつかの基準があるが、平易に言えば次のような状態である。

まず、仕事のやり方について会社から細かく指示を受けている場合である。たとえば、「この時間に出社し、このマニュアルに沿って作業し、●時になったら報告せよ」といった具体的な指示を日常的に受けているなら、それは自分の裁量で仕事をしているとは言えないだろう。

次に、働く時間や場所が拘束されている場合である。出勤時間や定例会議の時間が決められていたり、特定の場所に常駐させられていたりするなら、それは一般的な社員の働き方に近い。

さらに、その会社の仕事しかしていない、いわゆる専属状態も重要なポイントである。本来の業務委託であれば複数の取引先と自由に契約できるはずだが、実際には一社に依存している場合、実質的には雇用に近づく。

報酬の性質も判断材料になる。成果物ごとの報酬ではなく、時給や月給のように「働いた時間」に応じて支払われている場合は、雇用に近いと評価されやすい。

これらを総合して、「実態として会社に組み込まれて働いているかどうか」が見られるのである。

なぜこれが問題になるのかというと、労働者と認定されると、会社には法律上の義務が一気に発生するからである。具体的には先述の通り、残業代の支払い、社会保険への加入、解雇規制の適用などだ。これらを怠っていた場合、過去にさかのぼって支払いを求められる可能性もある。

したがって、いくら「業務委託」だと言い張ったとしても、実態が伴っていなければその言い分は通用しない。むしろ、「雇用に伴う責任を避けるために意図的に業務委託を装っている」と見られれば、「偽装請負」として大きなリスクを抱えることになる。

すなわち「労働者性」とは、「その人は本当に独立した事業者として働いているのか、それとも会社に雇われているのと同じ状態なのか」を見極めるための基準である。ここを誤ると、企業側にも働く側にも大きな影響が生じるため、形式ではなく実態で判断するという点が極めて重要なのだ。

3.「社長以外全員業務委託」の会社は、現実的に存在し得ない?

「社長以外全員が業務委託の組織」という発想は、一見すると合理的に見える。雇用に伴うコストや法的義務を回避しつつ、人材を柔軟に使えるように思えるからだ。しかし、前提となる「労働者性」の考え方を踏まえると、このような組織は現実には成立しにくい。理由は構造的に矛盾を抱えるためである。

そもそも、会社とは本質的に「指揮命令によって人を動かす仕組み」だ。事業を運営するためには、誰かが業務の進め方を決め、優先順位を指示し、品質や納期を管理しなければならない。ところが業務委託とは、本来「独立した事業者に仕事の成果を任せる関係」であり、発注者は仕事の進め方に細かく介入してはならないものだ。つまり、会社運営に不可欠な「指示・管理」と、業務委託の前提である「独立性」は根本的に両立しにくいのである。

次に、組織としての一体性の問題がある。会社の中核業務を担う人材がすべて業務委託である場合、実務上はどうしても常駐させ、時間を拘束し、継続的に同じ業務に従事させることになる。また社内ルールや評価基準に従わせる必要も出てくるだろう。この時点で、外形は業務委託であっても、実態は「会社に組み込まれて働いている状態」になってしまう。これは典型的に労働者性が認められる構造だ。

責任の所在という観点でも矛盾が生じる。業務委託であれば、受託者は自らの裁量で業務を遂行し、その結果について責任を負うはずである。しかし、会社の業務として一体的に運営されている以上、実際には会社側が業務内容を決め、顧客に対する責任も会社が負う。このように「責任は会社、働き方は社員同様」という状態は、契約形式との整合が取れない

さらに、収入構造の面でも問題がある。業務委託であれば、本来は成果に応じた報酬であり、仕事量や成果に応じて変動するはずだ。しかし、全員が業務委託で安定的に会社業務を回している場合、実務上は月額固定や時間ベースの報酬になりがちである。これもまた、雇用に近い実態と評価されやすい要素である。

これらを総合すると、「社長以外全員業務委託」という形を維持しようとすると、「指揮命令をしない」(すると偽装請負になる)か、「指揮命令をする」(すると労働者性が発生する)かのどちらかに行き着く。前者を徹底すれば会社としての統制が効かず事業運営が困難になり、後者を選べば法律上は雇用と判断されるリスクを抱える。この二択から逃れることはできない。

したがって、このような組織は理論上は存在し得ても、実務として安定的に運営することは極めて困難である。少なくとも、継続的・組織的に事業を行う企業においては、「中核人材まで含めて全員を業務委託で回す」というモデルは、労働者性の問題を不可避的に引き起こす構造になってしまうのだ。

すなわち「業務委託」という形式はあくまで独立した事業者同士の関係を前提とするものであり、「会社という組織の中で一体的に働く人々」を丸ごと置き換えることはできない。ここに「社長以外全員業務委託の組織」が成立しえない本質的な理由がある。

4.「業務委託」が「偽装請負」と判断されたとき、企業側が被るリスクとは?

ここまでご覧頂ければお分かりのとおり、いくら経営者が「ウチのスタッフは業務委託です! 本人も合意のうえです!!」などと釈明したところで、実態として会社の指示に従って働き、時間や場所も拘束され、報酬も労働時間に応じて支払われているような場合は、法律上は「雇用」と判断される可能性が高い。

「本人が納得して契約しているから」を免罪符のように主張されることも多いが、その理屈は通用しない。労働法は「個人と企業の力関係の差」があることを前提に、一定のルールを強制的に適用する仕組みであるため、当事者同士の合意があっても、実態が雇用であれば雇用として扱われるのだ。

では、実態が雇用と判断された場合、企業にはどのようなリスクが生じるのか。代表的なものを順を追って整理しよう。

まず、働いていた本人からの残業代請求である。雇用と認定されれば、これまで支払われていなかった残業代を遡って請求される可能性がある。日本では原則として過去3年分まで遡って請求できるため、長期間にわたって同様の働かせ方をしていた場合、その金額は相当な規模になることも珍しくない。

次に、労働基準監督署による対応である。違反の疑いがあれば、まずは是正勧告が出され、未払い賃金の支払いなどを求められる。ここで適切に対応しない、あるいは違反の程度が重い場合には、刑事事件として送検される可能性もある。これは単なる行政指導ではなく、企業や経営者個人に対する法的責任が問われる段階である。

さらに、社会保険の問題がある。雇用と判断されれば、本来加入させるべきであった健康保険や厚生年金について、過去に遡って保険料の納付を求められる。原則として最大2年分が遡及対象となり、企業負担分だけでなく本人負担分も一時的に立て替える必要が生じるケースがある。支払いに応じない場合には、財産の差押えといった強制徴収に進むこともある。

加えて、税務上の問題も発生する。業務委託として支払っていた報酬が、実態としては給与と判断されると、本来行うべきであった源泉徴収をしていなかったことが問題となる。その結果、過去に遡って源泉所得税の納付を求められる可能性がある。また、外注費として処理していた支出が給与と認定されると、消費税の計算上認められていた「仕入税額控除」が否認されることもあり、追加で税負担が発生することになる。

これらのリスクは、それぞれ別の行政機関が所管しているが、実態が明らかになれば連動して問題が顕在化する。つまり、一つの問題が発覚すると、「労務」「社会保険」「税務」の各分野から同時多発的に是正を求められる構造になっている。

つまり、業務委託の形式をとることで一時的にコストを抑えているように見えても、それが実態に合っていなければ、後からまとめて精算を求められることになる。その際の負担は、本来適正に雇用していた場合のコストを大きく上回ることも少なくない。

したがって、業務委託を活用するのであれば、形式だけでなく実態が伴っているかを慎重に見極める必要がある。ここを誤ると、単なるコスト削減策のつもりが、企業経営そのものを揺るがすリスクに転じるのである。

5.「正社員は規制ばかりで成長できない!」「ハードに働いて稼ぎたいなら業務委託!」は正しいか?

「正社員は規制が多く足枷のよう」「業務委託のほうが自由で稼げる」といった意見は、一面の事実を捉えてはいるものの、結論としては不正確だ。日本の労働法は、単に労働時間や残業時間を縛るために存在するのではなく、過去の過酷な労働環境と事故・健康被害に対する深い反省の上に形成されてきたからである。

歴史的に見れば、日本に限らず、産業化の初期には長時間労働が常態化していた。休みは少なく、労働時間の上限も実質的に存在せず、賃金も不安定であった。その結果、過労による健康被害や事故、生活破綻が広く発生した。これに対して、労働時間の上限規制や割増賃金、解雇制限、社会保険といった仕組みが段階的に整備されてきたのだ。日本でも戦後の労働基準法制定以降、長時間労働の抑制と最低限の生活保障を両立させる方向で制度が構築されている。

したがって、現在の「規制」は、個人の自由を過度に制限するためのものではなく、「無制限に働かされる状態」を防ぐための安全装置と捉えることが適切だ。ここを無視して「業務委託のほうが自由」とだけ捉えるのは、制度の前提からあえて目をそらす行為といえよう。

また、「業務委託なら自由に稼げる」という点も、現実には条件付きである。確かに、完全に独立した事業者であれば、働く時間や量を自分で決めることができる。しかしその代償として、収入の不安定性、社会保険の自己負担、契約打ち切りリスクなどを引き受ける必要があることはご承知のとおりだ。さらに、実態として会社に組み込まれて働く場合には、前述のとおり「労働者性」が認められ、結局は雇用と同様の規制が及ぶ可能性がある。つまり、「自由に見える働き方」が常に成立するわけではない。

では、「ハードに働いて成長したい、稼ぎたい」という希望は、雇用では実現できないのだろうか。そんなことはなく、現行法制の中でも、合法的に実現できる手段はいくつも用意されている。

まず基本となるのは、時間外労働の仕組みである。労働基準法では原則として労働時間の上限が定められているが、労使協定(いわゆる36協定)を締結すれば、一定の範囲で残業や休日労働が可能となる。その際には割増賃金が支払われるため、「長く働いた分だけ収入を増やす」ことは制度上認められている

さらに、より高い水準で働く人材については、いくつかの特例的な制度が存在する。たとえば管理監督者は、労働時間規制の一部が適用されず、経営に近い立場で裁量を持って働くことができる。また、専門的・高収入の人材を対象とした高度プロフェッショナル制度では、一定の要件を満たす場合、労働時間規制の適用外とすることが可能だ。これらは「時間ではなく成果で評価する」働き方を制度的に認めたものである。

加えて、裁量労働制のように、実際の労働時間ではなくあらかじめ定めた時間働いたものとみなす制度もあり、業務の進め方に一定の自由度を持たせることができる。副業・兼業も近年は解禁の流れにあり、一つの会社に所属しながら複数の収入源を持つことも可能になっている。

重要なのは、これらの制度はいずれも「健康確保措置」とセットで設計されているという点だ。つまり、どれだけ働きたいという本人の意思があっても、過労による重大なリスクを防ぐための最低限の歯止めは維持されている。

結局のところ、「自由に働きたい」という欲求と、「安全に働ける環境を確保する」という要請は、常にトレードオフの関係にある。業務委託は前者を強め、雇用は後者を担保する傾向があるが、どちらが一方的に優れているわけではない。

したがって、「労働法は足枷であり、業務委託のほうが優れている」という単純な二項対立は成立しない。むしろ現行の制度は、「一定の保護を維持しつつ、能力や志向に応じてより高い負荷・高い報酬を選択できる余地」を残す形で設計されている。これが、過去の反省と現代の多様な働き方の要請を両立させた、日本の労働法制の基本的な構造である。

6.「業務委託の悪用」が厳しく批判される理由とは?

「業務委託」という仕組み自体は、本来は独立した事業者同士が対等に契約し、成果に応じて報酬を得る合理的な取引形態であり、完全に合法的なものだ。問題なのは、それを「雇用の代替」として用い、実態は社員と同じ働き方をさせながら、企業として負うべき責任だけを回避する使い方である。

いくら「自由な働き方」「プロフェッショナルとの成果主義契約」といった言葉で飾っても、実態が会社の指示で動き、時間や場所も拘束され、収入も実質的に固定されているのであれば、それは独立した事業者ではない。単に契約の名前を変えているだけであり、中身は「雇用」である。その状態で社会保険に加入させない、残業代も支払わないというのであれば、それはコストを不当に外部化しているに過ぎない

この問題の本質は、「個々の働き手が被る不利益」に留まらない。「市場全体の公平性を歪める」点こそが重要なのだ。

本来、企業は人を雇えば、賃金に加えて高率の社会保険料を負担し、労働時間を管理し、安全配慮義務を果たさなければならない。これらはコストであると同時に、労働者の生活と安全を守るための最低限のルールである。多くの企業はこのルールを前提に経営をしている。

ところが、業務委託を悪用してこれらの義務を回避すれば、人件費は見かけ上大きく下がる。その結果、同じサービスをより安い価格で提供できるようになる。これは一見すると企業努力のように見えてしまうが、実態はルールを守っていないことによるコスト削減である。

この構図は、低賃金・長時間労働で価格競争を仕掛けるいわゆるブラック企業と本質的に同じである。法令や倫理を守らずにコストを切り下げ、その分だけ価格競争で優位に立つ。結果としてコスパ重視の消費者に選好され、「真面目に法律を守って運営している企業ほど損をする」という逆転現象が起きる。

この状態が放置されれば、何が起きるかは明らかだ。適正に雇用している企業も競争に勝つために同様の手法に流れ、労働条件の水準全体が引き下げられる。いわゆる「底辺への競争」である。最終的には、働く人の生活基盤が不安定になり、社会全体の持続性も損なわれる。

したがって、業務委託の悪用が批判されるのは、単に「働く人がかわいそうだから」ではない。それ以上に、「ルールを守る企業が報われない市場を生み出す」という点において、社会的に不公正だからである。

もちろん、真に独立した事業者としての業務委託は否定されるべきものではない。自らの裁量で仕事を選び、リスクを引き受ける代わりに高い報酬を得る働き方は、今後も重要な選択肢である。しかし、それはあくまで実態が伴っている場合に限られる。

「業務委託」という契約形態が問題なのではなく、それを悪用して雇用責任を回避する行為が問題なのである。形式だけを整えても実態が伴わなければ通用しない。そして、そのような行為は個別企業の問題にとどまらず、市場全体の公平性を損ない、結果的に社会全体に負の影響を及ぼす。

だからこそ、業務委託の悪用は厳しく批判されるのであり、それは単なる感情論ではなく、フェアな競争のルールを守るための必然的な反応なのだ。

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