なぜ日本で「退職代行」サービスが興隆するのか ~違法性と留意点~
あなたの会社の就業規則には、退職手続についてどのように書かれているだろうか。
おそらく、
「労働者が退職する際は、30日前までに会社に退職願を提出しなければならない」
といった規定があるはずだ。
一般的にはこの規定に従って退職願を出し、仕事の引継ぎをおこなって辞めていくわけだが、世の中には悪質な会社が存在する。退職の意志を示した従業員に対して、会社側が必要以上の引き留めをおこない、退職希望者を困惑させるケースがあるのだ。
「ウチでやり切れないようでは、どこに行っても通用しないぞ!」といった説教で終わるくらいならまだマシなほうで、「この業界で仕事できないようにしてやる!」と恫喝されたり、「退職など許さない!」といって退職願を受理しなかったり、「代わりの人を採用するためにかかる費用を払え!」「損害賠償請求するぞ!」など、脅迫めいた言動で無理矢理退職を断念させようとする事案も実在し、筆者にもしばしば相談が寄せられる。
実際、日々転職サポートをおこなっている人材紹介会社のアドバイザーを対象としたアンケートにおいて、「退職時・退職後にトラブルになる理由」としてもっとも多かったのは「企業からの強引な引き止め」(76%)であった。(エン・ジャパン株式会社:「『ミドルの転職』コンサルタントアンケート集計結果」)
ハラスメントやコンプライアンスに対する捉え方が厳しくなっている昨今、退職希望者にネガティブな印象を与え、組織の評判まで落としかねない強引な引き留めを、企業はなぜやってしまうのだろうか。
各社それぞれ事情は異なるものの、おおむね「常に人員不足の状態で、退職者が出ることで他従業員に負担のシワ寄せが出ることを避けたい」「新たに人を採用することが困難」「補充人員採用には時間もお金も手間もかかる」「退職者を出してしまった上長の社内評価が低下する」といったところであろう。いずれも会社側の一方的な都合に他ならず、まさにそのようなメンタリティーだからこそ、従業員が離れていってしまっているのかもしれない。
ビジネス系トラブル解決の専門家・新田龍が、すべての「働く人」と「経営者」が知っておくべき「自分自身と組織をトラブルから守り、価値向上させるための知恵」を、具体的事例を基に分かりやすく解説しお届けしています。報道品質と頻度を保つため、サポートいただける方はぜひ下記ボタンから月額のサポートメンバーをご検討ください。
退職代行サービスとは
このような強引な慰留を避けたい人や、職場の人間関係が悪いためにそもそも退職を言い出しづらい人、出勤自体が苦痛で今すぐ辞めたい人などを中心に利用が広がっているのが「退職代行」サービスだ。文字通り、依頼者に代わって退職手続を代行するサービスであり、依頼者は会社側と一切コミュニケーションをとる必要がなく、精神的プレッシャーやハラスメントと無縁で退職できることを売りにしている。
「自分で選んで入った会社なのに、自分で辞めると言い出せないなんて根性がない!!」
「『逃げの転職』を助長するのではないか!? 仕事を引き継ぐ人の立場も考えろ!!」
などと、このサービスの存在自体と利用者のマインドを疑問視する声は以前から存在するが、一方で退職代行へのニーズは根強いものがあり、利用者数も拡大基調にある。民間調査機関の調査によると、20代~30代における退職代行サービスの認知率は63.9%におよび、「退職代行の利用を検討している」と回答した割合が44.7%、そして「辞めるときには退職代行を利用する」と確定的に回答した人は約2割も存在していることが明らかになった。
また企業側から見た場合、2024年上半期(1月〜6月)に退職代行サービスを利用して退職した人がいた企業は23.2%との結果が明らかになっている。(マイナビ「退職代行サービスに関する調査レポート(企業・個人)」)
実際に、専門業者や弁護士事務所など運営母体は様々だが、退職代行を名乗るサービスはすでに100以上も展開しているのだ。
サービスの流れ自体は各社ほぼ同様だ。Webサイトのフォームや電話、LINE等で問い合わせをおこない、雇用形態や退職希望日、退職にあたってのハードルや悩みなどを伝える。打ち合わせ終了後、代行業者に料金支払を済ませれば、依頼者は会社や上司と直接やりとりをすることなく、自動的に退職手続が完了するという仕組みだ。ちなみに料金は専業の代行業者で2万円~5万円程度、弁護士事務所が運営するサービスではその料金に+1万円~3万円といったところが相場のようである。また「退職できなかった場合は料金を全額返金する」との保証をつけているところがほとんどであった。
会社側と直接やりとりする精神的負担を忌避したい利用者にとっては、全ての手続きを代行してくれ、返金制度もあるのならば、利用のハードルも低いに違いない。実際、各業者は「退職は労働者に認められた権利」として、辞めることは自由であり、基本的にトラブルも存在しないと謳っている。では、はたして退職代行は本当に低リスクのサービスなのだろうか。
退職代行サービスの適法性
「退職代行サービスを運営している母体は様々」と先述したが、実はこの母体の違いによって、各社が提供できるサービスの幅にも違いが出るのだ。しかも、場合によっては法律に抵触するリスクも存在する。ここからは、退職代行サービスの適法性について検証していこう。
現在、退職代行サービスを運営している母体は大きく「民間業者」「労働組合」「弁護士事務所」に分類できる。このうち、もっとも対応可能領域が広いのは「弁護士事務所」だ。彼らは退職希望者から委任を受けた代理人として、退職意志伝達のみならず、有給休暇の買い上げや退職日調整、未払金支払いや損害賠償請求など、あらゆる交渉をおこなうことができるためである。その代わり料金はもっとも高額で、基本料金に加えて別途相談料や、未払金が回収できた際の成功報酬などが発生する可能性がある。
一方で、もっとも対応できる領域が限られているのが「民間業者」である。先ほど弁護士事務所は「あらゆる交渉ができる」と説明したが、厳密にはこの「交渉」は法律事務に該当し、本来は弁護士、もしくは弁護士法人しかおこなえないという決まりになっている。
弁護士法第72条
「弁護士または弁護士法人でない者が、報酬を得る目的で法律事件に関し、代理・仲裁・和解その他の法律事務を取り扱うことはできない
したがって、弁護士資格を持たない民間の退職代行業者ができることは、あくまで「使者として退職希望者の退職意志を伝える」という1点のみであり、それ以外の業務引継ぎや未払金支払、有休消化といったもろもろの退職条件交渉をおこなうことはできない。もしやってしまえば、「非弁行為」に当たり、違法となってしまうのである。
しかし、民間業者の中には「使者」としての役割を超え、本来は違法な条件交渉までやってしまう悪質業者が存在する。彼らのような法的に代理権限がない者が交渉した場合、たとえそれが善意によるものであっても、交渉内容や退職そのものが無効になるリスクがあるのだ。また会社側が良かれと思って提示した有休取得や退職条件交渉を取り持つこともできないため、結果的に改めて弁護士に依頼しなければならなくなったケースがあったりするなど、トラブルに至る事例も報告されている。
なお、民間業者の中には「弁護士監修だから安心!」と宣伝している者がある。一見合法的に見えるが、その場合、監修弁護士が退職代行実務にいかほど関わっているかがカギとなる。弁護士資格を保持した本人が交渉実務を担当してくれるなら何の問題ないが、当該弁護士が単に名前を貸しているだけで、実質的に関与していないケースの場合、代行業者が交渉をおこなえば非弁行為であることには変わりがない。そうなれば当然違法であり、トラブルの原因となってしまう可能性があることに留意する必要があるだろう。
退職代行業者が非弁行為の交渉に介入することで発生するトラブルを回避するため、一部企業では「退職代行業者とは交渉しない」と宣言し、仮に代行業者から申出があっても「本人の意思かどうか不明なため、本人から直接の申出でなければ応じられない」という形で対応しているケースもあるようだ。そうなると民間業者では交渉ができず、結果的に利用者が最も避けたい「退職希望者本人に、会社から直接連絡がいく」という事態に繋がってしまうリスクがある。(退職の申し入れそのものは拒否できないので、あくまで民間業者が介入できない「退職条件交渉」に持ち込むという形である)
「労働組合」が母体の代行業者はその中間にあたる。労働組合は法的に「団体交渉権」を持つため、民間業者では不可能な企業側との直接交渉、具体的には、退職日の調整や有休消化、未払金の支払要求といった基本的な要求は対応可能なのだ。逆に、会社側が労働組合の交渉要求を拒否した場合、逆にそちらのほうが違法(不当労働行為)となってしまうため、交渉においては強い立場にあるといえる。
巷には退職代行サービスについて解説・案内するWebサイトが乱立しているが、実はこの「労働組合型の退職代行サービスが企業側と交渉可能な範囲」についてはかなり不正確なところが多く、注意喚起の必要性を痛感している。
たとえばとあるサイトでは「未払いの給与請求や残業代請求など賃金の交渉が認められているのは、法的資格を有する弁護士・法律事務所が運営する退職代行サービスのみ」と書かれているし、また別のサイトでは「企業側にパワハラ等の損害賠償を請求したい場合や、逆に企業側から損害賠償を求められた場合には対応できない」といった主旨の説明がなされている。しかし、これらの解説はいずれも誤りだ。
中央労働委員会によって「損害賠償請求権についての交渉は義務的団交事項」であると判断された例(※)があるため、労働組合による退職代行においても、損害賠償請求を含めた交渉は可能なのだ。ただし、組合自身が原告となって民事訴訟提起や労働審判申立をできるわけではないから、限界はある。その場合には組合員個人は弁護士を代理人に立てて、裁判所での各種申立てをおこなうことになろう。
(※ https://www.mhlw.go.jp/churoi/houdou/futou/dl/shiryou-29-0331-3z.pdf 組合員の健康被害に関する損害賠償請求権についての交渉は義務的団交事項であり、損害賠償請求であることや、別件で訴訟係属中であることを理由とする団交拒否は違法であるとの判断)
とはいえ、退職代行の気軽な利用を検討しているユーザーにとっては、損害賠償請求まで至ることはそうそうない。民間業者とほぼ同等の利用料金で弁護士事務所レベルの交渉が可能ならば、もっとも利用価値がありそうだ。
労働組合型の退職代行サービスで交渉を希望する場合、利用者は一時的に当該労働組合の組合員となり、労働組合が交渉を代行する、という形式をとる。無事退職でき、交渉の成果も得られれば、組合から脱退することも自由、としているところがほとんどなので、組合員となることが差し支えることもさほどないだろう。
実際、「労働組合が交渉するので合法です!」とアピールする退職代行会社も増えてきているのだが、厳密にはこちらでも違法性が疑われるケースがあるので注意が必要だ。それは、「労働組合と名乗っているが、労働組合法における労働組合の定義を満たしていない団体」、すなわち「退職代行サービスをやるためだけに結成した労働組合」の場合である。
本来、労働組合は「質量ともに労働者が主体であること」という条件がついている。組合の構成員が労働者主体であることはもちろんだが、会社でいうと役員にあたる「執行委員」の多数が労働者でなければ、正式な組合と認められないという判断が労働委員会で出されているのだ。したがって、たとえ「○○労働組合」と名乗っていても、退職代行会社の経営者が代表を務めるような労働組合は、本来適法とはいえないのである。さらにそういった「名ばかり労働組合」の場合、組合としての団体交渉経験も、労働関係法令に関する知見も乏しいケースが多く、肝心なところで頼りにならないリスクも存在するのだ。
したがって、退職代行サービスを利用したい場合は「法的な交渉が可能」であることを絶対条件に選ぶことをお勧めする。その場合は高額でも弁護士事務所提供のサービスを利用するか、お金に余裕がない場合は、経験実績豊富な本物の労働組合が提供、もしくは提携しているサービスを利用するのがよいだろう。
退職手続など、本来は退職届を出すだけで済んでしまうことだ。そのやり方を教えずに、わざわざ数万円の費用を徴収してサービス提供するのはいかがなものか、という批判は常になされる。しかし、それでもサービス利用者が確実に存在するという事実は、そうでもしないと言い出せない、今すぐにでも抜け出したいという強い思いと、同じ数だけの劣悪な労働環境が存在するということでもある。
退職代行サービスを使われた側の企業は、決して逆上したり退職者を恨んだりすることなく、「そこまでして辞めたいと思わせる原因が自社にあったのでは…」と反省材料にすべきだし、仕事を放り出して音信不通になられるより、辛うじて代行会社という細い糸で繋がり、パソコンのパスワードだけでも聞き出せたことを幸甚と考えるべきなのかもしれない。
一方で、藁にも縋る思いでサービス利用しようとする人に対し、単にニーズがあるからというだけで、低品質で違法状態が跋扈する状況は健全とはいえない。劣悪な労働環境に疲弊した人が真っ当なサービスを選択し、安心して利用できる状態こそ理想であり、単に退職にとどまらず、新たな人生を前向きに生きていく契機となることを願っている。
すでに登録済みの方は こちら